基本教育は大事です
演出家の言わんとしている事と
私が受け、学び、信じて歩いてきた演劇基本、
やり方こそ違うが同じだと確信する菊地ワーク。
若い時分に私が受けたこの演劇基礎教育は
《古典演劇を構築するために必須》であると
つくづく感じ 改めて浅利さんに感謝した昨日。
発声や活舌訓練を「日々やる」のは当然。
肉体をいじめ抜く事で身体に覚えさせる。
殊に だんだんと齢を重ねていく現在、
それが どんなに大事なことかを強く実感する。
だからやる。やり続ける。
少しでも長く現役でいたいから。
そして、頭もいっぱい使わなければならない。
感性も磨かねばならない。
楽しそうに見えるこの仕事は やる事満載。
台本をもらった時に
自分の感性や語感を信じ ただ字面を追っても
何も生まれない。変わらない。構築できない。
そんなに楽で 安直なものじゃない。
それでは言葉としてさえ成立しない。
ダンスや歌唱は 日々 訓練してこそ伸びる。
繰り返し 地道にやらなきゃ変わりようがない。
その変化は 傍からも目に見えるから
人は 歌えるように 踊れるように 頑張る。
じゃ、台詞は?
日常 日本語をしゃべって暮しているから
言葉というものがその延長上にあると思いがち。
小劇場でリアルな人物を描くときは
また方法が違うのだけれど、基本は同じだ。
いやいや、だが古典はそうはいかない。絶対に。
(もちろん、だからといって、
言葉は難解、非日常的な設定の古典であっても
人物はリアルにそこに生きていなくてはならない)
シェイクスピアなど まずは《言葉ありき》の作品。
「何しゃべってんのか全然わからないよ」
「誰に喋ってんの?」「音 変わるでしょう?そこ」
「何しに来た?目的があって登場したんでしょ?」
エネルギッシュに 必死に指導する演出家に対し
『あぁ、結局 この子は本が読めてないんだ』と思う。
多分『読み方を知らないままなのだな』と思う。
『台詞と思わず文学として読んでみたらいいのに』
(役者はつい声にして読んでみたくなるが
そこはぐっと我慢するのが大事だと思ってる)
『もっと一字一句に拘ったほうがいい』
(全体を把握していれば
自ずとその一語が重要と解かるはず)
『自分に固執しないでね。相手が居てくれるよ』
(自分の台詞が飛び出す絵本状態ではいかん)
『まずは 文章の成り立ちを理解しようよ』
いろんな事を思い 正直もどかしくなる私。
残念ながら 基礎教育を受けていない彼等には
菊地さんの言わんとしている事が
もしかしたら 頭では少し理解できてはいても
『では どうしたらいいのか』が分らないだろうなと
観ている私は『何か彼らに分る方法はないか?』
それを 毎週模索してしまうワークの時間。
《いい声の役者》になる事なんか目的ではない。
作品の言わんとする事、意図、人物の意志が
聞こえてきてこそ、見えてきてこそ、
そして それらが集結した時にこそ、
初めて 作品を構築し創り上げる事に繋がる。
それは個人個人の基本の土台作りをなくしては
どうしたって繋がらない。
個性豊かなこのメンバー。
私が持っていないものを秘めたこのメンバー。
彼等に基本教育をもっと受けさせてあげられたら
本当に面白い作品が出来るだろうなと思うとき、
このワークで 役者として必要不可欠のものを
なんとか心身で理解し、体感し、習得してほしいと
共に作品を創る仲間として
強く強く願う 昨日の私なのでした。
公演のお知らせ
だるまちっくシアター《煙が目にしみる》
原案 鈴置洋孝 演出 菊地一浩
2016年 7月13日~21日
荻窪 アトリエだるま座にて
チケットご希望の方は
下記のアドレスへお願い致します。
チケット受付中
http://ticket.corich.jp/apply/73445/004/
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